今回、古代ローマ帝国において、素晴らしい人徳を以て帝国を統治したとされる偉大なるローマ皇帝を、今回、自らの勝手な目ながらも選んでみました!!
1. アウグストゥス(Gaius Julius Caesar Octavianus Augustus、紀元前63年9月23日 - 紀元14年8月19日)‐混乱に終止符を打ち、「パクス・ロマーナ」を実現した。皇帝を頂点とする統治体制を樹立。「永遠の都ローマ」を創り、帝国の版図を拡大させ親衛隊を創設し、軍を再編成し、文化を保護し発展を促した。
2. ティベリウス1世(Tiberius Julius Caesar、紀元前42年11月16日 - 紀元後37年3月16日)‐人材登用に卓越した手腕を発揮し、身分出身地の分け隔てなく能力に応じて適材適所で登用した。ローマでの金融危機に国家資金を投入し、経済を発展させ善政を敷く。
3. クラウディウス(Tiberius Claudius Nero Caesar Drusus, 紀元前10年8月1日 - 54年10月13日)‐ユダヤ統治問題などを解決した。有能な人材は解放奴隷であってもに登用するなどし、貴族ではなくても登用したことにより権力向上や官僚制の発達を推進した。
4. ウェスパシアヌス1世(Titus Flavius Vespasianus、9年11月17日 - 79年6月23日)‐ユリウス・クラウディウス朝断絶後の混乱に終止符を打ち、フラウィウス朝を創始した。危機に瀕していたローマを再興し、ローマ国庫の財政を回復させ、経済を安定させた。
5. ネルウァ(Marcus Cocceius Nerva Caesar Augustus、 35年11月8日 - 98年1月27日)‐温厚で野心を持たない人物とされる。歴代君主から崇敬される王朝の祖であり、先代の悪帝・ドミティアヌス時代に迫害された人々の名誉回復に努めた。執政官に3度も就任した名門貴族の出身で、元老院によってネルウァは皇帝に推挙された初の皇帝。
6. トラヤヌス(Marcus Ulpius Nerva Trajanus Augustus、53年9月18日 - 117年8月8日)‐文武の両面で辣腕を揮い、帝国内の公共施設の強化と領土の拡大に成功した。特に対外面ではダキア、パルティアで功績をあげ、ローマ帝国史上最大の版図を現出した。
7. ハドリアヌス(Publius Aelius Trajanus Hadrianus、76年1月24日 - 138年7月10日)‐帝国各地をあまねく視察して帝国の現状把握に努め、トラヤヌスによる帝国拡大方針を放棄し、現実的判断に基づく国境安定化へと転換したネルウァ・アントニヌス朝の皇帝。
8. アントニヌス・ピウス(Antoninus Pius、86年9月19日 - 161年3月7日)‐元老院と良好な関係を保ち、学問や芸術・文化の保護に熱心で多くの劇場や神殿を建設した。この時代、大きな戦争はなかった。元老院からピウス(pius,慈悲深き)の号を与えられた。
9. マルクス・アウレリウス・アントニヌス(Marcus Aurelius Antoninus ,121年4月26日 - 180年3月17日)‐ストア哲学などの学識に長け、良く国を治めた事から五賢帝の一人とされた。対外政策では宿敵パルティアとの戦争に大勝を収めたほか、ガリア地方でも勝利を重ねた。
10.ガッリエヌス(Publius Licinius Egnatius Gallienus, 218年頃 - 268年)‐これまで政治に参入できていなかった騎士身分の有能な人材たちを行政に登用し、善政を目指した。いくつかの詩も残しており、また哲学にも関心を抱き、哲学者とも交流があった。
11.アウレリアヌス(Lucius Domitius Aurelianus, 214年9月9日 - 275年9月)‐当時3つに分裂していたローマ帝国を統一した。ローマ市を防御する「アウレリアヌスの城壁」の建設者。清廉潔白な政治を敷き、臣民からも崇敬を集めた。軍人としても優れており、たびたび諸地方へと遠征し、戦った。
12.ディオクレティアヌス(Gaius Aurelius Valerius Diocletianus、244年12月22日 - 311年12月3日)‐帝国の安定化に努め『3世紀の危機』と呼ばれる軍人皇帝時代を収拾し、専制君主制を創始し、「ドミナートゥス」を確立させた。また、自らを神として皇帝崇拝を行わせ、キリスト教に弾圧を加えた。善政を敷いた哲人皇帝ともされている。
13.コンスタンティヌス1世(Gaius Flavius Valerius Constantinus, 270年2月27日-337年5月22日)‐混乱状態に陥っていた帝国を再統一した「マクシムス(Maximus、大帝)」。ローマ皇帝として初めてキリスト教を信仰し、列聖された。混乱を収束させ、資金を投じて市民のための建造物を多く建設したことでも有名。コンスタンティノープル(Constantinople)の開都者。
14.ユリアヌス(Flavius Claudius Julianus, 332年 - 363年6月26日)‐民衆の心の拠所としての古代ローマの多神教の復興を目指し、腐敗した教会を律し、慈善活動を活発に行った。哲学の知識も非常に高かった。しかし、後世の教会からは「背教者」とされ、悪名高い皇帝となった。
15.テオドシウス1世(Flavius Theodosius , 347年1月11日 - 395年1月17日)‐テオドシウス大帝とも呼ばれる、東西に分裂していたローマ帝国を実質的に1人で支配した最後の皇帝。キリスト教を国教にした。また、帝国の肥大化への具体策として、東西2つの帝国に、それぞれ自らの長男と次男を封じ、その後の体制の基盤を作った。
さて、いかがでしょうか?
武に秀でた皇帝、哲人皇帝、はたまた「背教者」とまで呼ばれたローマ皇帝たち。ほかにも、更に素晴らしい皇帝たちがたくさんいます。その中で、たった「15人」のみを「賢帝」として選ぶのは、やはり思ったよりも大変なものでした。しかしながら、このような形にまとめることができたのはこの上ない幸せです!
今後ともよろしくお願いいたします!
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