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  • tantamani0

ややこしい「民族」と「人種」の違い


上:様々な民族(左上から時計回りでアフリカの遊牧民族の人々、アルタイ系遊牧民の男性、韓国人<大韓帝国皇帝純宗>、古代マケドニア人<アレクサンドロス大王>、嘆きの壁に祈るユダヤ人、ベドウィン族の男性、ロシア人<イヴァン3世の宮廷>、カラシュ人の女性、ヒンバ族の女性)


古代史を語るうえで、非常に重要となってくる定義が3つある(私論であるが)、1.国家的なまとまり、2.文化、そして3.民族・人種 である。


ここでは「民族・人種」と記述したが、この二つの語には意味の違いがあるとされている。


まず、「民族」からみていこう。例を挙げるならば、日本民族が最も適しているであろう。なにせ、この記事をお読みになっているほとんどの方が日本民族であるからだ。


「日本民族」を例に挙げ、見てみよう。唐突だが、みなさんにとって「日本民族」とは何だろうか。「日本の文化に属する人々」であろうか、または「そういうDNAの民族」であろうか?聞く人によっても全く異なった定義が出てくるに違いない。


実際のところ、「民族」の定義は(多少のばらつきはあるものの)、一定の文化的特徴(土地、血縁関係、言語の共有や、宗教、伝承、社会組織など)を基準として他と区別される集団を指すと言われているをいう。普遍的な客観的基準を設けても概念内容と一致しない場合が多いことから、むしろある民族概念への帰属意識という主観的基準が客観的基準であるとされることもあるそうだ。


一説によると、「民族」を意味する「ethnic group」の定義について、「本質論」と「構築論」があるという。


本質論は、血縁、性、身体的特性、社会的出自、言語、慣習など、自分の意思では変えられない、人にあらかじめ与えれたものや外から見て明らかなもの(客観的な属性)が集団を確定するという考え方である。


構築論は、集団は人々が他の集団との相互作用の過程で選択的に形成するもので、目的に応じて自分である程度自由に選択できるとし、外から見て必ずしも明確でない帰属意識など(主観的な属性)が集団の確定にとって重要であるという考え方である。


また、「民族」、「民族集団」という概念は広がりを持つものであり、客観的基準を設けても概念内容と一致しない場合が多いといわれている。


文化、言語、生活様式などの特定の要素を絆(きずな)として共有し、「われわれ」という意識を持った人間集団であってこその「民族」であるとの意見も存在する。また、それぞれの民族は「民族自決」の権利を保持するとされ、他の民族やグループに自らのアイデンティティを侵害されたりせず、自らの意思で民族の未来を決定できるとされている。


民族やエスニック・グループは固定した集団ではなく、歴史的に変化し、社会的文脈によって客観的標識も異なる。また、少数民族がその内にさらに少数集団を含むことも多い。民族とエスニック・グループとの相違は不明確である。ただし民族という用語の方が古く、また「民族自決」「少数民族運動」といった用法のように、集団が自治や国家形成など政治共同体としての要求を持つと認められた場合には、民族と呼ばれることが多いとされる。


さて、「民族」がわかったところで、次に「人種」をみていこう。「人種」と言われて思い浮かぶのは何だろうか。正しい例としては、モンゴロイド、ネグロイドなどではないだろうか。


「人種」の定義は、某辞書によると「ヒト(ホモ・サピエンス)の生物学的下位分類の一つ。英語でraceなど。人種特徴を示すものとして,肌や目の色、毛髪、頭や鼻の形、身長、血液型などが利用されてきた。日本では〈人種〉を、生物学的特徴だけでなく、文化的特徴をもつものとして民族とほぼ同じ意味で使用してきたが、本来は異なる概念である」とのこと。


英語で「人種」などの意味をあらわす「race」は当初「属性や価値観など、なんらかの共通点をもつ人々の集団などのこと」を意味する語句であった。


16世紀以降の大航海時代及び植民地開拓時代においては、その当時生まれた「人種差別」にも現れているように、ヨーロッパ人は世界で植民地化を進め、まったく異なる文化をもつ人々と接触するようになると、征服者の優越性を正当化するために「人種」の偏った概念を生み出した。それが、近代につながる「人種」論の出発点となってゆく。


植民地主義の台頭と共に、ヨーロッパにおいては、階層化されたヒトの類型という概念が広まった。その結果、当然のこととして現地住民の意見など全く視野に入れずに植民地支配を開始し、そのことを「(宗主国の)君主がこの土地を領有する権利を与えたのだから、全くおかしくはない。即ち、ここは我々のものだ」という、現在ではありえない価値観を、全くおかしくないと信じ、現地住民に対する苛政や搾取の正当化のために用いられるようになった。


その後、科学の進歩により、身体部位の測定や知能の「客観的」定量化を通じて、かたちだけの正当性が与えられた。やがてこれらの要素がまとまり,人類は永続的に区別でき対等ではない集団に分割可能で、それらの集団は階層化しうるとみなす、体系的な考え方ができあがった。個々の人種は、肌の色や頭の形、髪質などの親から子へと伝わる特徴をもつとされており、現在では大きくコーカソイド(白色人種/白人)、モンゴロイド(黄色人種/黄人)、そしてネグロイド(ニグロイド、黒色人種/黒人)などの異なる類型に分けられると考えられるようになって行った。ちなみに、その他にアメリカ先住民ネイティヴアメリカンのことを指して「アメリンド/赤人人種」とも言う。


そして現在、われわれが持っている「人種」の考え方に近い学問や概念が形作られて行き、現在に至るのである。


すなわち、「民族」と言えば、必ずしも人種的に同じではなく、同じ文化や祭祀、制度などを保持するグループのことを指し、一方で「人種」とは、文化や祭祀などに依らず、同じ系統のDNAを保持するまとまりのことを指すのである。また、今までに挙げた4大人種の下には、同じ文化やDNA的な近縁性のある「民族」が位置しており、例えば「コーカソイド」の下には「イタリア人」や「イギリス人」、「イラン人」などが位置しており、それぞれ同じような骨格や身体的な特徴を持っているとされる。



上は、遺伝的に「近縁」とされる民族のまとまりである。「人種」の中に「民族」があることが見て取れよう。


最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

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