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  • tantamani0

ツタンカーメン王 呪いの嘘Tutankhamun King Curse Lie


















ツタンカーメン王の呪い……。皆さんは、こんな言葉を耳にしたことはないだろうか。この「ツタンカーメン王の呪い」であるが、昔は世界でもっとも著名な「呪い」であった。


この呪いは、1920年代のエジプトにおいて、王家の谷でツタンカーメンの墳墓を発掘してミイラをとりだしたカーナヴォン卿および発掘に関係した数名らが、発掘作業の直後次々と急死したとされる出来事からこうした伝説が生まれ、現在まで語り継がれている物である。


一説には、少年王ツタンカーメンは悲劇の死を暗殺によって遂げたともいわれている。また、暗殺ではなくてもこの様な青年期で死んでしまったファラオには、必ず「呪い」が付きまとうであろう、ともされる。そのような「考古学的な論拠」をもとにこの説は今でも市井に広く出回っているのである。


その説の気になる内容は、以下のとおりである。


……1922年11月4日、長年の発掘の末に、王家の谷で新たな墓を発見した。その墓の主はかのツタンカーメン王であり、隊長ハワード・カーター率いる考古学調査隊は、のちに20世紀最高の発見と称賛される偉業を成し遂げたのだった。エジプト・ルクソール付近のナイル西岸に存在した「王家の谷」で、エジプト第18王朝のファラオ(王)、ツタンカーメンの墓の入口を発見したのである。


ところが、その華々しい考古学的に極めて重要で偉大な発見と引き換えに、彼ら発掘隊には謎の怪死事件及び怪現象等が続出することになるのであった。それが、かの有名な「ツタンカーメンの呪い」である。


その「ツタンカーメンの呪い」の前兆は、墓の入口が発見された1922年11月4日にすでに起きていた。隊長カーターが愛玩していたカナリヤ鳥が、エジプトの蛇に食べられてしまったのだ。また、カナリヤはエジプトでは幸運の鳥とされていた。その幸運の鳥がツタンカーメンの墓を発見した直後に死んでしまうとは、なんという不吉な出来事だろうか…。皆は恐れた。


更に、不吉な前兆は続いてゆく。なんと、封印されていたツタンカーメンの王墓の入口には、次のような死を警告する文が刻まれてあったのだ。


『偉大なるファラオの墓にふれた者に、死はその素早き翼をもって飛びかかるであろう。

当初、皆はこの碑文を少ししか気に留めなかったが、その後、この碑文の内容は現実のものとなり、死の影は着実に忍び寄る。


また、墓を開けた日のうちに、とある高名な霊媒師から、このような忠告を、カーター隊長の支援主である英国貴族・カーナヴォン卿は受けた。「あなたは、この後に災難の後、死に至るであろう。ファラオたるツタンカーメンの呪いによって」。


調査隊のスポンサーでもあり、墓の開封にも立ち会ったカーナヴォン卿が発掘の翌年4月に原因不明の高熱で急死する事態が発生した。そのカーナヴォン卿の死と時を同じくして、首都・カイロ中の電気が停電する。


犠牲者はこれに留まらない。カーナヴォン卿の死の直後には墓の開封に立ち会った考古学者であるアーサー・メイス博士も急死。同じく開封に立ち会ったアラン・ガーディナー、ジェイムズ・ブレステッド、ハーバート・ウィンロック、アーサー・キャレンダー、リチャード・ベセルも相次いで死亡する。


さらにはツタンカーメンのミイラの検査を行なったダグラス・デリーが肺虚脱で亡くなり、同じく検査を行なったアルフレッド・ルーカスも同時期に急死した。


結局、犠牲者はこの後も続き、1930年までにツタンカーメンの墓の発掘に関わった22人が死亡。1930年まで生き残ったのはわずかに1人だけであった。やはり碑文に刻まれていた呪いは本物だったのである……


耳にするだけでも末恐ろしいこの内容。しかし、実際には、この内容は「嘘とでたらめのオンパレード」だったという。その証拠は、以下のとおりである。

証拠① カーナヴォン卿、本当の死因は「蚊」



もともと彼は、発掘よりずっと前の1901年にドイツで遭遇した自動車事故が原因で健康状態は良くなかった。さらに医師の助言を無視することもしばしばで、彼が57歳という当時では高齢といえる年齢で亡くなったこと自体に驚きはなかった。


しかも、ファラオの呪いと言うのであれば王墓に何らかの装置を仕掛けるか、または百歩譲って少年王の「霊的な作用」であったとしても、その可能性は無に等しい。


まず、「王墓の仕掛け」説をとったとしよう。ならば、古代の技術の最高峰を駆使して3000年も後の世でも人を多数殺害するほどの凶暴性を持つ機械、又は装置、又はウイルスや菌類を開発し、それが数千年もたった後に働くであろうか。また、王の墳墓を荒らす墓荒らしを懲らしめるために致死性のカビのようなものが意図的に配置されていたのではないか。現在科学を以てしても難題であり、想像しても、まずありえないと思わざるを得ない。


しかも、現在では古代エジプト墳墓の空気も調査されているが、有毒なガス、カビの存在は確認されていないし、勿論のこと、副葬品にも毒矢など毒が検出された例(ためし)はただの一度もない。


また、第二の「霊的な作用」、即ち俗に「呪い」であるとすると、3000年もの古代に崩御したファラオ、それも少年が墓に立ち入ったものに働きかける「呪い」など在り得るだろうか……。まず、在り得ないとわかる。


しかも、カーナヴォン卿の本当の死因は、なんとエジプトによく生息していた「蚊」だった。


発掘以前に髭を剃っていた時に誤って蚊に刺された跡を傷つけたことにより熱病に感染し、肺炎を併発したことが死因であることが確認されている。蚊が金を持ち込んだために死去するという、その当時ごくありきたりな死因だったのである。


この様な理由から、「呪い」があったことは完全な否定に近づいたといえよう。

証拠② 実際に3か月以内に死亡したのはカーナヴォン卿只一人

それでは、カーナヴォン卿以外にツタンカーメンの呪いを受けたとされた人たちはどうだろうか。まず「発掘に関わった者のうち、1930年まで生き残ったのはわずかに1人だけだった」という話は、まったくのデタラメだった。


そもそも最初にツタンカーメンの墓の前室に入り、まっさきに呪いの犠牲者となってもおかしくない4人(ハワード・カーター、カーナヴォン卿、アーサー・キャレンダー、イヴリン・ハーバート)のうち、1930年までに亡くなったのはカーナヴォン卿だけである。


カーターは1939年の65歳まで生き、キャレンダーも同じく1939年まで60歳を越えて生きていた。さらにカーナヴォン卿の娘イヴリン・ハーバートにいたっては、亡くなったのが1980年、死亡時の年齢は78歳だった。また、墓の開封に立ち会った他の人たちも死亡時期が捏造されている場合が多い。


また、墓を開封した時、棺を開けた時、ミイラを検査した時のそれぞれに、墓に入るか副葬品に触ったと思われる25人をピックアップ。彼らの死亡時の平均年齢が調べられた。すると、その結果は「70歳」だったのである。


このようにツタンカーメンの王墓と直接的に関わった人たちの多くは、実際のところ長生きしていたことは明らかだった。もちろん中には比較的早く亡くなった人はいるけれども、その多くは関係者の親類や、墓を見学に訪れた人だとか、発掘には直接関係していない人たちばかりであった。

証拠③ ツタンカーメンは暗殺されていない

「呪い」がかけられている、と信じられた一つの要因は、少年王が「悲劇的な死に方を遂げた」と言う説が広く一般的に広まっているためである。


悲劇的な死に方をしたものは、呪う。これは、霊媒的なものを信じる人たちがよく信じていることである。しかし、わたくし自身、「呪い」などどうしても信じることができない。いや、信じることこそ在り得ない、と思っている為であろうか。


どちらにせよ、ツタンカーメンは悲劇的な暗殺を遂げていない


2005年1月、エジプトの研究チームによってミイラの調査が行われた。さらに2009年のエジプトチームの再調査では、骨のDNAサンプルからケーラー病(Köhler disease)を患っていたことが判明している。 ツタンカーメンは父王アクエンアテンとその姉妹の1人との間に生まれ、骨折にマラリアが重なって死亡した可能性が高いことが、エジプト考古学チームによるDNA鑑定やCTの調査で分かった。腐骨や内反足を患い、転倒して足を骨折し、マラリアが命取りになったという。


また、ツタンカーメン王は歩くのに杖をついていた虚弱な王だったとしている。埋葬品の130本もの杖は全て実際に使用されていたと思われる磨り減った跡がある。虚弱な身ではあったが、ヌビアの反乱を収めたりヒッタイトとの戦いに勝利したりするなど、王としての職務はこなしていた。


そのことを考慮して考えると、ツタンカーメン王が早世した理由についても納得ができるであろう。確かに、僅か18歳と言う死に方自体が「悲劇的な死に方」と言えるかもしれない。だが、その死は相思相愛の妻や神官たちに見守られた、ある意味「悲劇的ではない」死に方であったと言える。

証拠④ 新聞社の誇張



発掘のスポンサーとなったカーナヴォン卿に続いて他の発掘関係者も何名か死亡した偶然を、当時のマスメディアが "ファラオの墓の発掘に関係した者には呪いがかかり死ぬ"との話に仕立て、「王家の呪い」あるいは「ツタンカーメンの呪い」の伝説が広まった。


これは当時のマスメディアが、発掘報道を独占したタイムズに反発して、発掘関係者と少しでも関わりがある者が死ぬたびに「呪いによる死」という形で報道したことで広まったという。発見者カーターにもマスコミの害は及び、同姓同名の別人が交通事故により死亡した際には、あたかもこのハワード・カーター本人が事故死したかのように書き立てられるという事態も起きた。


カーターは、世間で噂された「王家の呪い」とは何ら関係なく充実した健康な生涯を送り、64歳の死去も当時の平均寿命を考えれば、まずもって天寿を全うしたと言える。


この様なことから、「ファラオの呪い」と言うイメージが定着してしまったと考えられている。これらのデマ情報は当時の世の中の人々を扇動した。

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