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古代エジプトのマイナーな女王 タウセルトの人生

更新日:2021年1月19日



タウセルト(TausertまたはTwosret、在位:紀元前1191年 - 紀元前1189年)は、古代エジプトのエジプト第19王朝の最後のファラオだ。


彼女の4代ほど前に君臨していたアメンメセス王からタウセルトにいたる4人の短命王については、王家の谷に墓を造営したこと以外ほとんど情報が得られず、内政が混乱していたことが窺われる。そんな中即位した彼女は、いかなる人物であっただろうか…。




彼女の生年は不詳である。


古代エジプトの新王国時代。その時代は、古代エジプトの帝国がもっとも繁栄し、ゆたじゃさを謳歌していた時期であった。しかし、其の絶頂期を築き上げた大王・ラメセス2世が死去し、更にその息子メルエンプタハ王が死去すると、古代エジプト新王国の繁栄には、少しの陰りが見え始めた。


彼女が属するエジプト第19王朝なる王家は、ラムセス大王の死後緩やかに衰退し、更にアメンメセス王とセティ2世王の争いの後更に崩壊への速度を早くした。


彼女の配偶者は先々代のファラオであるセティ2世で、セティ2世の王妃がタウセルトであったが、タウセルトの出自は一般的にセティ2世の異母兄弟であるアメンメセスのきょうだいで、父はメルエンプタハ王、あるとされて母はタカトであるとされている。しかし、セティ2世とタウセルトの間に子はできなかった。


セティ2世の死後の次の王はサプタハという少年で、その後見役として宰相のバイと義母としてタウセルトが握った。そのサプタハは、わずか在位6年で夭逝し、継承者となる直系の男子がいなくなったため、後見人であったタウセルトが女王として即位した。


女王として即位したのちは、約2年間エジプトを支配した。たった、2年間である。在位年数は7年間とされることもあるが、これは前王サプタハの統治期間が含まれている。即位名はシトレ・メヤムンで、「アメンとラーの最愛の娘」を意味するという。


しかし、紀元前1186年、女王となったタウセルトも僅か治世2年で逝去してしまうのであった。そうして、彼女の死と共にエジプト第19王朝も終わりを告る…。


その死因が、後継者となるセトナクトによる政治闘争の結果の暗殺であったのか、それとも自分の治世で安らかに死んだのかは分かっていない。


タウセルトが逝去したのち即位したのは、セトナクトという人物であった。 彼の即位は正統な王位の継承権を受けての即位ではなく、その出自や経歴についても確かなことは分かっていない。平民出身の可能性もあるが、 妻のティイ・メルエンエスはメルエンプタハ王の娘である可能性があり、もしそれが正しければ王家の末席に連なる人物ということになる。 また、数多くいたラムセス2世の孫の一人とする説もある。


彼女は、在位もごくわずかなため、あまり知られていない。しかし、私たちは歴史の闇に葬ってはならない。古代エジプトの新王国の終わりに近い時期、タウセルトという名の女王が君臨していたことを。

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