top of page

古代エジプト 神々の習合

  • tantamani0
  • 2021年1月18日
  • 読了時間: 7分

更新日:2021年1月19日



アメン=ラー(Amen-Ra、エジプト語:imn、ギリシア語:Ἄμμων-Ρα)は、古代エジプトの太陽神として有名な神である。上の画像がそれだ。この神は、新王国時代には国家神としてあつく崇拝されたし、また、アメンの神官団には多大な寄進が集められたことで知られる。


しかし、この神。実は、二つの神が合体した結果、出来上がったものである。「アメン」という軍神と、「ラー」という太陽そのものを著す太陽神が習合したのだ。


われわれ日本人からすると、二つの神々が「合体」して、新たに「一つの神」となり、信仰されるとは…。実は、この「習合」、古代エジプトの宗教ではよく行われていたことであった。また、アメン=ラーのように2つの神々が習合したものもあれば、3つの神が習合たもの、異国の神と習合したものなどもあり、実に多様な顔を見せるのだ。


さあ、古代エジプト神の習合を見てみましょう!



アメン=ラー


アモン=ラー(Ammon-ra)、アムン=ラー(Amun-ra)、アメン=レー(Amen-re)ともいうアメン=ラーであるが、「隠されたもの」を意味する名を持つテーベの王の守護神アメン神と有力な太陽神ラーが習合して形作られた神で、エジプト新王国時代には地位の高い主要な神として崇拝され、古代エジプトで「神々の王」の座を保った神である。


信仰の中心地は、上エジプトの中部に位置する、聖なる都・テーベである。


テーベ地方で信仰されていた抽象的な性格の神が、この地を基盤とする第18王朝の国家神となることで教勢を拡大し、その他の具体性を持つ有力神を吸収する事でさらなる信仰を得た。後のプトレマイオス朝時代やローマ帝国時代には、神々の王として共通するゼウスやユピテルとも習合し、ゼウス・アモン、ユピテル・アモンといったさらなる形態が誕生した。


古代エジプトにおいて信仰されていた多神教における太陽神をラーという。古王国時代に盛んに崇拝され、ファラオはラーの化身とされ、ラーを祀る祭殿として作られた巨大なピラミッドが造営されたとも考えられている。太陽神ラーに対して、人間の死後の世界である冥界を支配する神とされたのが、オシリス神であった。


紀元前3000年頃に歴史上初めて上下エジプトを統一した上エジプトのメネス王は同地の支配力を高めるべく自らの氏神であった天空神ホルスとラーを習合させてラー・ホルアクティとし信仰の基盤とした。これ以降、現人神たるファラオは自らを「ラーの息子」と称する様になっていった。その時代のピラミッド・テキストにアメンは「隠れたもの」としてのみ言及されている。


エジプト中王国時代になると、ナイル川中流の王都テーベの守護神としてあがめられていたアメン神が崇拝されるようになり、新王国時代にはアメン神がラーと一体化、アメン=ラー信仰(アモン=ラー)が起こった。


ヒクソス人の王国に対するテーベの王国の反乱の後、エジプト第18王朝初代のイアフメス1世(紀元前16世紀頃)の全国支配でテーベの地神であったアメンは国家的重要性を獲得し、太陽神ラーと習合し、アメン=ラーとしての融合を果たした。


アメン=ラー神は、古代エジプトの国家神としてあつく崇拝され、エジプトのさまざまな神の中で主たる重要性を保持した。この地位を利用して、アメン=ラーの神官団は次第と横柄な神官団となり、古代エジプトの多くの土地の領有をファラオに認めさせ、更には古代エジプトの富の三分の一を集めたとも言われている。その国家神としての権威を盾に、アメンの神官団は王家の問題や政治にも介入するようになり、王権の存続自体が危ぶまれるような状況となった。


紀元前16世紀ごろから紀元前11世紀のアメン=ラーは、創造神としての地位を獲得しました。アメン=ラー神は貧しい人々や問題を抱えた人々の擁護者であり、国家的な崇拝にとどまらず個人的な信仰の中心として繁栄した。アメン=ラー神は冥府の神[[オシリス]]と共に、古代エジプトの神々の中で最も多くその名を記録されている。


古代エジプト文明を受容した異国の地では、古代エジプト帝国の主神としての影響を受け、アメン=ラー神は古代エジプト国外で崇拝されるようになった。ヌビア人の間では、エジプト第25王朝としての古代エジプト地域の支配の後、アメン=ラー神の信仰が確立され、王都ナパタのゲベル・バルカル寺院においてはアメン=ラー神が崇拝された。後に、ヌビア王国へと発展したこの王国は、さらに南の王都メロエでも信仰され、メロエ文明独特の融合を遂げた。神殿も多く建立されており、その以降は現在でも見ることができる。


リビアにおいては、リビア砂漠でアメン=ラー神の信仰が残った。


後に、プトレマイオス朝の成立として古代エジプト人の支配から[[ギリシア人]]の支配へと移行すると、ギリシア人は同じく「神々の主」としてゼウス神(Zeus、ゼーウース)と融合させ、「ゼウス・アメン」となった。彼はギリシャのゼウスと同一視されるようになった。プトレマイオス朝が滅んで古代ローマの支配下に入ると同じく神々の主ユピテルと融合し、エジプト国外においても信仰された。


ゼウス・アモン、ユピテル・アモンといった形態でも信仰を集めたアメン=ラー神であったが、後にエジプトのキリスト教の浸透によって信仰は廃れた。



ラー=ホルアクティ


太陽そのものであるラー=ホルアクティは、現代までひたすら農業国でありつづけたエジプトにとっては重要な神であり、たとえ民衆の人気を失っても、古代エジプト宗教が捨て去られても、決して存在として消えることはなく、その祭儀は形を変えつつ現在も一部農村に生き残っているという。


アマルナ時代の初期のころ、新興宗教であるアテン信仰の主祭神・アテンは、ラー神と同一視されていた。その証拠として、アテン神の公式名「アテンとして帰って来た父ラーの名によって、地平線で歓喜する地平線の支配者ラー」は、アテン信仰の中心地テル=エル=アマルナの境界線を示すために配置された多数の碑文に刻まれている。



ホルス神



ホルス神は、古代エジプトの天空神、オシリスの息子、イシスの息子、初代エジプトの王とされている新デイ中身であるが、これもまた、習合によってかたちづくられた神であった。


ホルス神は、もともと「大ホルス」と「小ホルス」という2柱の神から成っていたものが、後に同一視され、習合して形成された天空の神である。


初期のホルス(大ホルス)は太陽と月を両目に持つ天空神とされており、彼は原住民の|エール神と習合されてハロエリス(Haroeris、「大ホルス」の意)または、ハルウェルという名の光の神となった。ハロエリスは月神でもあり、眼病を癒す神として眼病患者の信仰を集めた。


またハロエリスは、上下エジプトにある聖域を定期的に往復すると言われた。彼はハトホル女神の息子とされ、ホルスを崇拝する人々が上エジプトのエドフにまで広がるとホルスは、ホルス・ベフデティ(Horus-Behdeti、「エドフのホルス」の意)と呼ばれ、[[ラー]]の息子となった。また、オシリス神の敵たるセト神を倒す神とされ、国家の守護神、外敵と戦うハヤブサの神として信仰された。


「小ホルス」は、父に冥府の神オシリス、母に豊穣の女神イシスを持つ天空神である。それゆえ主にオシリス神話で語られる。この場合ホルスは、ハルシエシス(Harsiesis、「イシスの息子ホルス」の意)と呼ばれ、ハルシエスはオシリスとイシスの伝説オシリスへの信仰が高まるにつれ、その息子のホルスに太陽神ホルスの一部が同化したものと考えられている。オシリス3神の一員として崇拝されたほか、プトレマイオス朝の支配やローマ帝国の支配下でイシス信仰が発展するにつれて、後に幼いキリスト像の原型と成ったとされるハルポクラテス(Har-pa-khered または Heru-pa-khered、「子供のホルス」の意)として崇拝された。


セラピス神


セラピスは、プトレマイオス朝のギリシア人が、ギリシア人とエジプト人の融和を図るために考案された神である。その形はギリシアの神そのもので表現される。アポロドーロスはアルゴスの始祖であるアピスとエジプトの聖なる牛アピスを同一とし、次いでセラピスを同一とした。


プトレマイオス1世の治世下で、エジプト人の宗教と統治者ら(マケドニア人)の宗教を統合する努力が行われた。プトレマイオス1世の方針は、エジプトの神官がかつての外来の支配者の神を呪っていることを踏まえ(すなわち、ヒクソスによって崇拝されたセト)、両方から崇拝される神を見出すことだった。アレクサンドロス3世はアメンを考えていたが、アメンは上エジプトで信仰が篤い神で、ギリシア人の支配力が強い下エジプトではそれほどでもなかった。


ギリシア人には古代エジプトの宗教によくあるような、動物の頭を持つあるいは動物そのものの神は馴染みがなかった。そのため、ギリシア風の人間の姿をした偶像が選ばれアピスと同一であると宣言した。それが「アセル=ハピ (Aser-Hapi)」(すなわち、オシリス=アピス)と呼ばれ、セラピ(Serapis) となった。パウサニアスもセラピスとエジプトのアピスの関係について、「(アレクサンドリアのセラピスの神域には)アピスを埋葬するまで一般人も神官もそこに入ることはできない」と記している。そして、この場合のオシリスはカー(霊魂)だけの存在ではなく、完全体とされた。



さて、いかがだったでしょうか?古代エジプトの宗教は、このようにして、時代とともに変遷していったのだ。

 
 
 

最新記事

すべて表示
You have a mistery

ローマ人たるカエサルは、マランガに到達していた。 6636565039381866493919183037303950485028102949371649284937164928361666592940364610482930194610482930195930662737...

 
 
 

Comments


記事: Blog2 Post

090-1156-9846

  • Facebook
  • Twitter

©2021 by amanouzume。Wix.com で作成されました。

bottom of page