この地域は世界で最も古い歴史を持つ土地と言われ、紀元前1万年頃に氷期が終わり、地球が温暖化が始まった紀元前8000年頃にはこの地域では麦による農耕が始められた。紀元前6000年ごろには「肥沃な三日月地帯」の一部として灌漑農業が発展し、紀元前3000年ころには農耕に富を基盤とした文明の萌芽があった。
紀元前3千年紀にはマリなどセム語系の言語を使用する人々が建てた都市国家群が成立し、そのうちエブラは大麦、オリーブや織物の生産が行われ、古代オリエント市の中でお得に豊かであったと言われる「肥沃な三日月地帯」の一翼をなしたのだった。
その後、マリは宗教の中心地として発展する。しかし、統一王朝として現在のイラクで誕生したバビロニア帝国の支配を受け、法典によって後世に名を残したその王ハンムラビの統治下にはいる。
一方、その当時のヨルダン地方はどのような歴史をたどっていたのか。ヨルダンの国土は、およそ紀元前8000年紀には人類最古級の農業や牧畜業が営まれ、地球上で最も早く豊かな地域となった。その後、西アジアにメソポタミア文明が発達すると交易の中心地として栄え、紀元前13世紀頃からは聖書などにも登場しているエドム人が住み着き、現在、ヨルダン・ハシミテ王国の首都であるアンマン市付近には旧約聖書に登場するアンモン人が国家を成立させた。
この時代以降、シリアとヨルダンは二人三脚といった感じで歴史を綴って行くこととなる。
紀元前15世紀、シリア人の国ミタンニ王国が成立するものの、鉄を製造する技術を保持するヒッタイト帝国の属国となる。しかし、そのヒッタイトが衰退すると、紀元前13世紀にはメソポタミア北部のアッシリア帝国がミタンニ王国を滅ぼし、シリア・ヨルダンともにアッシリア帝国の属領となった。
一方、海岸部では海洋民族であるフェニキア人の植民が展開され、た。その後、海の民によりヒッタイトが滅亡するとアラム人の小国が乱立。フェニキアは、エジプトやバビロニアなどの古代国家の狭間にあたる地域に居住していたことから、次第にその影響を受けて文明化した。盛んな海上交易を行って北アフリカからイベリア半島、及びその先の大西洋沿岸地域まで進出、地中海全域を舞台に活躍、その交易活動にともなってアルファベットなどの古代オリエントで生まれた優れた文明を地中海世界全域に伝えることとなった。
ティルス(現在のスール)、シドン、ビュブロス、ベリュトス(現在のベイルート)などがフェニキア人の手によって開拓され、そのうちの多くが現在でも重要な都市となっている。
アッシリア最後の偉大な王とされるアッシュールバニパル(在位:紀元前668年 - 紀元前627年頃)が即位し、ニネヴェ図書館と呼ばれる図書館を建造して数万点に及ぶ粘土板を保管した。これらは今のメソポタミア史を研究する上で絶大な影響力を持つ。 だが彼の死後、急速に衰退したアッシリアは紀元前612年に新バビロニアとメディアの攻撃を受けて滅亡。そして新バビロニア、メディア、リディア、エジプトなどの強国が乱立するが、アケメネス朝ペルシアのキュロス2世がメソポタミア地域の統一に成功した。
しかし、長く反映したペルシアはアレクサンドロス3世率いる義ℝしア人に駆逐され、オリエント王朝が盛んに建国された。その内の代表的なものにセレウコス朝シリアがあり、この王朝がシリアを支配、プトレマイオス朝エジプトがヨルダン一帯を支配した。
紀元前1世紀頃にはヨルダン南部にペトラ遺跡を残した貿易国家、ナバテア王国が発展するが、紀元1世紀から2世紀に当時強勢を誇ったローマ帝国に併合された。
7世紀にはシリア・ヨルダン共にイスラム帝国の支配下に入り、アラビア語とイスラーム教が浸透してアラブ化・イスラーム化が進んだ。ダマスカスに都したウマイヤ朝が滅びイスラーム世界の中心がシリア地方から離れると、その辺境として都市文明も次第に衰えていった。
左上:バビロンの空中庭園
右上:城壁
左下:アレクサンドロス大王
右下:セレウコス朝シリアの領域
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