エチオピア ソロモン王朝
- tantamani0
- 2021年1月17日
- 読了時間: 3分

みなさんは、古代エチオピアに存在していた「ソロモン王朝(Solomonic dynasty)」をご存知だろうか?この王朝は、始祖をかの有名なヘブライ王・ソロモンとしたためにこう呼ばれており、1270年~1975年にエチオピアの前身・アクスム王国及びエチオピア帝国を統治していた王朝だ。へブライ王ソロモンの末裔を称したエチオピア初代皇帝イクノ・アムラクが建てたのだった。
ソロモン王朝のエチオピア皇帝たちは、イスラエル王国の王ソロモンとシェバ王国の女王の直接の子孫であると主張し、エチオピア内で盛んであったコプト教徒の支持を得、当地に利用した。ソロモン王朝の家系が王統となる前は、ザグウェ朝のエチオピア皇帝がつづいたが、1270年にソロモン朝初代国王のイクノ・アムラク(在位:1270年 - 1285年)との争いでザグウェ朝は滅亡し、ソロモン王朝が開かれ、アクスム王国はソロモン王朝によって支配された。
その後、アムラクの死後はその子孫たちが帝位をめぐって激しく争ったが、後に孫のアダム・セヨン1世が帝位に就くことで政治的混乱は収束した。アダム・セヨン1世は当時イスラム勢力の影響下にあった南部の高原地帯に覇権を拡大していった。1455年ごろには、アラビア半島はもちろんインドや地中海との通商ルートとなる紅海の支配権をめぐる戦争でザラ・ヤコブ率いるエチオピアは宿敵であったアダル・イスラーム同盟諸国に勝利し、覇を唱えた。
その他ソロモン王朝の皇帝たちも、アラビア半島のイスラーム教徒の脅威をエチオピア帝国の地から遠ざけることに成功した。また、その他のアラブ人、オスマン・トルコ帝国のトルコ人、近代イタリア王国のイタリア人の侵略を撃退することに成功し、エチオピア帝国の絶対君主として君臨したのであった。
その後、ソロモン王朝は多少の衰退期や混乱期などはありながらも、エチオピア帝国の王朝として近代の20世紀まで支配し、その間は数回しか中断しなかった。このことは、古代から連綿と続く王朝としてはほぼ唯一と言っていいものだ。
しかし、ハイレ・セラシエ皇帝の治世1974年2月以前から皇帝の権威は地に堕ち、軍が反乱を起こし、帝政打倒の声が高まった。皇帝はエンデルカチュ・マコンネンを首相に任命し、立憲君主制への移行や土地改革などを公約するが、時すでに遅く、民衆によるゼネスト、デモなどが多発。若手将校を中心とする改革集団「軍部調整委員会」の成立、軍部による政府要人の拘束などが公然と行われた。
そんな騒然とした雰囲気の1974年9月2日早朝、皇帝はアディスアベバの王宮内で陸軍のクーデターにより逮捕・廃位され、拘禁中の1975年に暗殺(犯人はメンギスツ・ハイレ・マリアムという説もある) された。こうして、1200年の歴史を誇るソロモン王朝は滅亡した。なお、現在はアメリカに子孫が残っており、ソロモンの血統が収めるエチオピアの復興を目指しているそうだ。


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